1.鉱石ラジオの購入
小学校修学旅行
修学旅行先、仙台のデパー
トで鉱石ラジオを買った.
アンテナの銅線を屋根に伸
ばしイヤホーンから放送が
聞こえてきたときには大感
激. コイル中のコア位置を
調整し周波数を合わせる簡
単なもの. これが私の、電
気とのつき合い初めである |
2.東北電力学園への入学
中学から社会へ
給料がもらえて勉強ができ
、おまけに東北有数の優良
企業東北電力への就職まで
保証された学園への入学希
望は、工業系の就職を目指
していた私には当然であっ
た。友を得、生涯使える技
術を得、社会への出発点と
してこれは最高だった。 | 3.香港・台湾への船旅
八戸火力勤務時代
あこがれの外国に行きたか
った。ボーナス・貯金を叩
き、組合からも借金し、見
本市船さくら丸(先代)に
乗った。1959年23才。初め
て見る外国の印象は強烈だ
った。外の世界を知った私
には、小さな会社の中にと
どまる事はできなかった。 |
4.計装専門会社へ
北日本計装制御(株)
計装の仕事を深く広くの一
念で、安定大企業東北電力
鰍ゥら北日本計装制御鰍ヨ
転席した。香港旅行も深層
心理に働いて限られた場所
では満足できなかったのか
もしれない。アマチュア無
線を通じて共感を持った創
業者松本氏の元へ走った。 |
 | 5.独立(飛び立ち)
八戸から中央への時代
八戸をを飛び出し横浜の計
装技研経由で太平電業福島
原子力事務所にて原発の計
装品定期点検を業務とした
次に日揮(株)で東海再処理
工場の修理工事に放管・制
御設計に携わり、ついには
横浜で計装制御の設計を生
業とするに至った。
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6.家の購入
横須賀市鴨居
福島の駐在から横浜に帰る
とき、幼子4人の条件では
貸してくれるアパートは無
かった。それならとかなり
の背伸びをし、横須賀に中
古の家を求めた。自分の家
を持つと故郷への想いが薄
れて行き、地に足が着いた
生活へと変化していった。 | 7.英語へのチャレンジ
オンジョブトレーニング
1行読むのに数度辞書を引
くことから私の英語による
仕事が始まった。内容は2
0年来の職務内容であると
高をくくって入ったが、い
やー大変な目に遭ってしま
った。30才後半から中学
校英語の勉強。おかげで今
は海外も苦にならない。 | 8.再独立
自分を生かす道
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